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幻想自警団通信文Z

幻想状態とはなにか

幻想自警団において<幻想状態>と言った場合は、催眠法による<催眠状態>、または臨床心理学的な方向から言うところの<変性意識状態>、更にはオカルト的な印象を与える<トランス状態>などと同義である。前記各種<状態>は専門的に細かく分類するならばそれぞれ全く異なる状態か、あるいは逆に<近似的な状態>として扱うことも出来るのだが、我々はその必要性が無いと判断し、それらをひとまとめにして<幻想状態>と呼んでいる。また、催眠法で言うところの<暗示>のことは、幻想自警団では<ステートメント>と呼ぶ。これはコンピュータプログラムの命令文のことを一般的に<ステートメント>と呼ぶことに由来している。ちなみに<ステートメント>を連続で与える場合は<マルチ・ステートメント>と言う。このあたりは幻想自警団独特の用語であるため初めは戸惑うかもしれないが、使ううちに慣れるので心配無い。

幻想自警団の<ステートメント>は、心理学で言うところの<下意識>、フロイトの言うところの<無意識>、ユングの言うところの<シャドウ>、一般的に言うところの<潜在意識>の中で実行されることを目指す。前記の<下意識><無意識><シャドウ><潜在意識>は幻想自警団では同じものとして扱い、これを幻想自警団では<意識されない自己>と呼ぶ。また、そこには催眠法で言う<深度>、オカルト的に言うところの<宇宙的な広さ>があるが、我々はその深さや広さを一定の基準で区切ったりはしていない。その為催眠法などでよく使われる<催眠深度>などという考え方は、幻想自警団には無い。あるのはいわゆる<意識されない自己>の中のどこかで何かが起こっている、ということを<間接的>に知覚して制御することを目指す<方法論>や<技術論>だけである。また、われわれは<意識されない自己>がひとつの<人格>を持っていると判断している。ゆえにそれを<意識されない「自己」>と呼ぶ。

幻想自警団の術式は<自己催眠>と<自己暗示>を前提に構築されている。そのため<他者催眠>は幻想自警団の行うところではないし、行ってはならない。幻想自警団の技術はあくまで<自己制御>のための技術であると心得る必要がある。広義には他者催眠も<自己催眠>であるというのが常識だが、ここで言っているのはそういうことではなく、自分の術は、自分自身にのみ、使用することが許される、ということである。

手順としてはまず一般的に言うところの<催眠状態>に自分を誘導し、その後に一般的に言うところの<暗示>を入れ、目的を遂行する。これを幻想自警団的な言い方で説明すると、「まず<幻想状態>に入り、それから<意識されない自己>に<ステートメント>で命じる」となる。この手順を正しく行うことが出来るなら、善きにつけ悪しきにつけ<意識される自己>から観察する自分自身に何らかの変化が訪れるだろう。

上記内容がいまひとつ理解できないという人も多いと思う。そのため以下に一般的な生活の中で起こっている同様の事柄を取り上げるので、その感じを多少なりとも掴んでいただきたい。

実例

例1:映画を観る前と後(映画はとても面白かったものとする)。

映画を観るまでの過程が<幻想状態>への誘導で、映画の内容が<ステートメント>である。映画館に入る前と、出た後とで意識状態(精神状態)が明確に変化しているはずである。

例2:美女(美男)を見て、更にその人に何かのお願いをされた時(自分の美的センスの判断で言うところの理想の美人で、性格的な欠陥は無いものとする)。

美人を見た瞬間が<幻想状態>への誘導で、その美人の言葉が<ステートメント>となる。困難でない依頼なら<無意識>にお願いを聞いてしまう可能性が高い。

例3:何かに熱中している時には周囲の状況が把握できない(例えば時計の秒針の音が聞こえなくなる、など)。

強力な<幻想状態>に入った場合、集中している対象以外の情報は遮断され、存在しているはずのものを知覚できなくなる。これを催眠法では<負(マイナス)の幻覚>と呼ぶ。例えば集中していると時計の秒針の音が聞えなくなる。これは聴覚的な負の幻覚である。他には、映画館で目の前に座った人間の頭部が邪魔に思えても、映画に没入すると全くそれを知覚しなくなる。これが視覚的な負の幻覚である。その他にも、心痛を抱えた時の食事(全く味がしなくなる)の味覚的な負の幻覚など、色々なケースと現象が考えられる。心理的に距離を置きたい物に対して無意識に負の幻覚を起こす場合もあるので、注意されたい。

例4:思い込んで間違える。

例えば柳の下の幽霊。あれは見間違うのではなく、本当に幽霊が見える。幻想状態で何かを思い込んでしまうと思った通りのことを視覚情報として知覚する。これを催眠法では<正(プラス)の幻覚>と呼ぶ。ちなみに実例として、幻自のアチョ夫のケースを紹介しておく。

彼は長野の松本市から新潟の糸魚川まで徒歩で移動した際、着替えが無くて苦しんでいた。そのため服の洗濯が出来る場所を探して歩き続けていると、道路の上に「▲▲Km先コインランドリー」という表示を見つけた。「しめた、あと▲▲キロ歩けば服が洗濯できる!」、そう思って彼はそれからさらに数キロ歩き看板は「▲Km先コインランドリー」に変わった。それからさらに数キロして「△Km先コインランドリー」になって、そこからさらに数キロ歩いてついに念願の「コインランドリー」に辿り着いたと思った時、それが「リンドーランド」というアミューズメントパークだったことに気が付いた。良く考えれば「コインランドリー」の看板が数キロ先から立っているはずが無い。その上一度ならず二度三度とアチョ夫はその看板を繰り返し見ているにもかかわらず、それが「リンドーランド」であることに気が付かなかった。アチョ夫の目には、そこに書かれている文字が「コインランドリー」にしか見えなかったのである。人間というものは、これほどまでに外部情報を脳内で歪曲しているものなのだ。

上記の現象は実体験であるので(嘘のようではあるが)すべて本当の話である。こうしたことから、もしもいわゆる<霊>のようなものが存在するかどうかを<確認>する必要がある場合には、当然こういったケース(リアルな幻覚である可能性)を全て潰していかないと、正しい結論は得られない。

…ちなみに、アチョ夫が間抜けだとか、そういう感想を求めているわけではないので誤解しないように。

例5:おこと教室

欲求不満の女性がこの看板を見ると「おとこ教室」に見える(註:欲求不満とは限りません!)。

…だんだんネタになって来たのでこの辺で切り上げます。

2005/2/17 

追記

最近TVにて変わった<たこ焼き屋>が紹介されていた。そこではたこ焼きの味を<気功>によって変えるという、いかにも<胡散臭い>サービスが行われていた。その店を取材したレポーターもその味の変化に驚いていた様子である。ここまで読んできた方ならわかると思うが、これは<気功>でもなんでもなく、ただの<催眠>、それもショー的な<催眠術>の類である。そもそも味覚での幻覚を引き起こす催眠の術式は通常<感覚操作>などと呼ばれ、これは非常にメジャーな、誰にでも起こる現象である。上記で解説したように、視覚情報を催眠で操作できる以上、視覚と違い体験者の主観のみに依存する<味覚>の操作など、催眠を使えば極めて簡単なことなのである。このたこ焼き屋がどういうつもりで催眠を<気功>だと言っているのかは不明だが、これは一つ間違えば<詐欺的商法>あるいは<催眠商法>とも言われかねないやり方である。ジョークとしては面白いが、<商売>としてはいかがなものか。近い将来、ここの店主が警察に摘発されないことを祈るばかりである。

2005/3/2

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