占いと魔法とオタク
幻想自警団通信文Z

意識される自己、意識されない自己

<意識される自己>と<意識されない自己>、この二者は常に一人の人間の体内に存在している。<意識される自己>はいわゆる<意識>であり、<意識されない自己>はいわゆる<無意識>である。以下、それを更に具体的に解説する。

まず、以下に書かれた作業を実行して頂きたい。

1:自分の肉体の中で、制御可能な部位に集中し、その部位を自分の意思のもとに可動させる。

例:右手の人差し指を意識的に伸ばし、曲げる。

2:自分の日常生活の中で自動的に行っている作業を再現する。

例:直立し、歩く。その際足の筋肉の制御は<自動的>に行われているはずである。右足の筋肉を収縮させてから左足の筋肉を収縮させ、などと考えて歩いている人間がいるとするならば、それはリハビリテーションを行っている者か、スポーツ選手だろう。

いかがだろうか。上記1が<意識される自己>の肉体への制御の方法であり、上記2は<意識されない自己>の肉体の制御である。良くわからない方のために解説すると、上記1においては自分がどの筋肉を動かすのかを意識し、その部位が意識のイメージに沿って可動したはずである。しかし、上記2においては意識が命じたのは単に自動化された<作業>を実行するための指示を与えただけであり、その作業自体は無意識、つまり<意識されない自己>が行っているのである。健常者は普通その筋肉の動きを意識していない。

人間は通常、肉体の制御のほとんどを無意識、つまり<意識されない自己>に<委任>している。意識は普通、その動作を行う<指示>を出すだけである。ここからわかることは、<意識的>な<肉体の直接的な制御>は、かなりな困難を伴うものである、という事実である。筋肉だけならまだしも、内臓の動作など、普通は自己の意識だけでどうにかできるものではない。人間が食事をして胃に入れたものを、<消化>して<栄養に変化させる>のは常に無意識、すなわち<意識されない自己>の働きなのである。

これらのことを考え合わせれば、(ストレスなどによって)<胃が悪い>人間は胃を制御する<意識されない自己>の調子が悪い、ということになる。

上記事柄をPCに例えるなら、<意識される自己>は肉体というハードウエアの「OS(オーエス)」のようなものであり、<意識されない自己>は肉体とOSとを取り持ついわば「BIOS(バイオス)」のようなものである。

周辺機器が接続されるにはBIOSの制御が絶対的に必要であり、OSはそのBIOSに命令を出すことでその周辺機器を制御している。とするならば、周辺機器の不調はなにもその機器自体が不調なのではなく、「OS」や「BIOS」の調子が悪かったり、連携がうまく行かなかったりすることが原因だったりすることも考えられるのである。

幻想自警団を初め、およそ心理療法と呼ばれるものは基本的にはこの「OS」と「BIOS」との関係を良好なものにすることを目的とした作業を行うものである。いわゆる「統合失調症」などはこの関係が著しく失われた状態だと言って良い。

幻想自警団の術式はこの<意識されない自己>に対して<意識される自己>から命令を出し、正しい動作、あるいは意識が望む動作を<意識されない自己>に行わせることを目的としたものである。その命令手段は基本的には<言語>、すなわち「言葉」を使って行われる。また、言語化できない部分に付いては各種<イメージ>を利用して<意識されない自己>に働きかける。<意識される自己>も<意識されない自己>も、基本的には全て脳内の機能であり、どちらの「自己」も、<脳の機能>を利用することができる。そのため両者が同時に出会う<夢>の中では<意識されない自己>も言語を使って<意識される自己>に語り掛けることができる。ただし、その内容は非論理的で詩的である。自己のメンテナンスを行う際に<夢>は極めて重要である。というのは、<夢>は通常、顕在化しない<意識されない自己>が特別に意識化される場であり、PCで言うところのいわば<コンフィグ>のようなもので、その情報はPCにおけるレジストリデータ並に重要な意味を持つと言えるかもしれない。もちろんこのデータを正しく書き換えられればその人間の動作も正しく制御されるだろう。

幻想自警団は<意識される自己>から<意識されない自己>を制御し、結果的に<肉体>を制御していくことを目的とする術式を持っている。また、この逆に<肉体>を制御することで<意識されない自己>を制御し、結果的に<意識される自己>の不要な部分を取り除いたり、気力を捻出したり、すなわち制御する術式も持っている。

これらの術式を使いこなすことができればその人間は<自分の意識を自分の意のままに制御する>ことが可能になるだろう。それは幻想を操る作業であり、また、それは結果として人間の幸福を司る作業でもある。

2005/3/2

註:2006/1/31現在、上記にあるような独特の術式は一般に公開していません。公開の可能性はありますが、現在のところ公開未定です。ご了承下さい。

追記

多分誤解する人間はいないだろうが、念のため補足しておく。上記は、いわゆる「小脳」や「脳幹」、「脊髄反射」などの自動的な「人体の動作や処理」の機能の解説を目的としているわけではなく、あくまで自意識から自己を眺めた際の感覚的特徴を基本とした心理と人体との関係性を説明しているものであって、外科的な意味よりもむしろ心理的な意味で理解するべき文章であると考えて頂けるとありがたい。

2005/9/25

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