占いと魔法とオタク
幻想自警団通信文Z

幻覚の実際と死亡事故

幻視や幻覚による死亡事故は枚挙にいとまが無い。一番多いのはドラッグによる幻覚で、ビルの窓などから飛び降りるといったものだろう。また、明確な幻覚症状を伴わない場合でも、下手な催眠をかけられた人間なども同様に死ぬことがある。というのは、例えば素人の自称催眠療法家が、泳ぎがうまくなりたいと希望する人間に「うまく泳げる」という暗示を与えたとする。するとその暗示を受けた人間は実力に見合わない自信をもったまま海に入り、そのまま波にさらわれて溺死する可能性が有る(こうした危険を回避するため、幻想自警団では他者催眠を厳禁している)。これも、言ってみれば自己認識に対する一種の幻覚だろう。

幻覚、幻視を甘く見てはならない。かつてそれらの体系が磨き上げられていたキリスト教においても、間接的な死亡事故は存在している。修道院において、一部の修道女たちは幻視の技術を最大限に活用し、キリストとのいわば<性交>を行った。具体的には、キリストの肉と血(すなわちパンとぶどう酒)を食すことで、キリストとの性交を<幻視>したのである。さて、彼女たちにとってみれば食事は聖体拝領、つまりはキリストとの合一である。そのためキリストの肉を表す<パン>とその血を表す<ぶどう酒>は、極めて甘美な恋人の肉体と体液である反面、それ以外の食物は不浄な腐った死体でしかなかったのである。そのため彼女たちは儀式用の特別なパンとぶどう酒以外の食べ物を口にすると、その腐敗した味と匂いで(もちろんそれは幻覚である)それらを全て吐いてしまうのであった。結果として彼女等は拒食症となり、場合によっては若くして命を落とすこともあったらしい。もちろんこれはそういう修道女も一部に存在していたということであり、全ての修道女がこうであったというわけではないのでそこは誤解しないで頂きたいが、それにしても信仰心の深さが健康を害する原因となることもあるのだという、ひとつの例でも有るだろう(参考:魔女と聖女/池上俊一・講談社現代新書)。

オカルティストは、幻覚を<真に受ける>という愚を犯してはならない。上記はあきらかに幻覚であると言えるために現代に生きる我々はそれを避けることができるが、これが例えば<夢のお告げ>、あるいは<聖守護天使のメッセージ>などであったらどうだろうか。オカルティストの弱点は、こうした幻覚を場合によっては<真に受けてしまう>ということにある。

長生きをしたいなら、あるいはオカルトを<楽しみ>たいなら、幻覚は常に<無視>せよ!

これは至上命令である。

2005/3/17

追記

イエスが見た悪魔(<荒野の誘惑>、あるいは<悪魔の誘惑>。マルコによる福音書1:12,13、マタイによる福音書4:1-11、ルカによる福音書4:1-13)はオカルティストにとっての神秘体験である。オカルティストは常に悪魔の誘惑を拒絶したイエスのように振舞わねばならない。神秘体験の末に崖から飛び降りるような愚を犯してはならない。幻覚との取引は高くつく。幻覚の語る言葉に惑わされ、命を落とすことの無いようにせよ。これは至上命令である。

2005/6/15

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