そもそも<幻視>は特別なことではなく、誰にでも起こる現象である。ただ、訓練された人間は、それを意識的に行うことができるということだ。
しかし、ここでひとつ注意をしなければならないのは、修行者が幻視を訓練していると、ある時点でそれらのイメージ群が<自律>して動くようになるということである。私にも色々と失敗談はある。以前タロットに傾倒していた頃、そのイメージが頭の中で<自律>して動き出し、非常に不快な気分を味わったことがあった。例えるなら、頭の中に昆虫が入り込んで蠢いている感覚である。
制御できないイメージは精神の<癌細胞>と同じである。これらは必ず<意識される自己>の望む時、望む場所に、望む形で出現しなくてはならない。そうでなければ術者はひどい精神的困難を抱えることになってしまう。
西洋魔術において、どうして術を行う前後にいちいち<カバラ十字>を切り、魔術用の特別な法衣を身につけ、魔術道具の一切を魔術以外には決して使ってはいけないと<厳命>せねばならないのか。それはつまり、術を行う時間と空間を完全に日常と切り離し、その特殊な幻想空間の中でのみ、自律したイメージ群が動くようにそれを制御しなければならないからなのである。
術者、特にある程度の<現象>を体感し始めた術者は、日常生活を<幻想的>にしてはならない。幻想は自分が自分の意思で区切った時間と空間の中にだけ、出現させなくてはならないのである。
それが出来なければ術者は日常の車の運転中に幻覚が現れて、そのままトンネルの壁にぶつかって死ぬだろう。
「日常生活」を幻想に乗っ取られないようにせよ!
これは至上命令であり、鉄則である。
2005/3/日付失念